おふでさきについて

 

 をもたり様(須藤花井)は、昭和35年高知から天理に移住されてから「月よりの神言」の

67ページに書いているように、長年大掃除のことが書かれている「おふでさき」(約600首)を

求めて随分と探されたようです。そして、平成4年(1992年)の東京講演の中で話されているように

お月様の言われるままに 天理時報社の方に尋ねた結果、大掃除のことが書かれたおふでさき)

の存在が明らかになりました。

この話の中で、天理時報社の方が『文部省が没収している大掃除のことが書かれた(おふでさき)

を出したら教会本部はやって行かれないと言われました。だから、出さないでしょうね』と

われています

天理教者にとって「おふでさき」は教祖直筆の最高の経典の一つです。

その「おふでさき」の三分の一(約600首)が表に出ていないばかりか、その内容がこれから

起こる、第三次世界大戦とその後の「大掃除と陽気世界」について書かれていることは

天理教者のみならず、人類にとって大変な一大事です。

そこで、この表に出ていない「おふでさき」に関する内容を以下に書いています。

1 次は、昭和49年3月5日の「真実の話」からの引用です。

今の教えは 中山教 大事な事は言うておらん

しかと聞け 誠のことを 今、初めて 人間子供に説き聞かす

みきが記した おふでさきは地(の巻)天(の巻)の二冊あるなり

今、人間が読むものは天の巻なりと しかと言いお

地の巻の おふでさきに書き記した事柄は掃除の事や後世の事や

信じられぬ者が居るならば 真柱にも問うてみい

問うたとて 一寸の事ではないからに 再三問えと言うておくぞや

それやとて 天理の教えは最後なるの わしの教えと説いておるゆえ

2. 次は、天理教社会学に投稿された記事(2017年4月~ )からの引用です。

(1) おふでさきの核心部分は、2号(明治2年3月)から3号(明治7年1月)の約5年だと

須藤花井さんが話してくれました。この隠された部分にこれから先の地球の本当の事が

書かれていると言っていました。

おふでさきを今一度じっくりと読んでみてください。おふでさきには、戦争がなくなるとか

平和になるとか何処にも書かれていません。

(2) おや様は、孫娘の梶本ひさに「先いったら高知から神さんが出て来る」と話していたそうです。

おや様の三女はるが、梶本惣次郎に嫁ぎ、孫娘のひさが生まれました。

八島英雄氏によれば、 ひさは、おや様が亡くなるまで側にいておや様の身の回りのお世話を

していました。その為本部中枢の人間達も知りえない話を沢山聞いていたそうです。

梶本ひさを口封じする為に、山澤為造が強引に自分の嫁にしたそうです。

おや様が亡くなった後の事です。

山澤為造は、子供のいない高知大教会の島村菊太郎の養子に、妻ひさの実家の甥梶本國治郎を

送り、そこへ自分の三女サワを嫁がせました。サワが亡くなると為造は五女「ヒサノ」を嫁がせています。

為造は、高知大教会から神が出て来ると信じ、自分の娘を次々に送り込んでいたと思います。

為造は、播州のおや様「井出くに」ではなく「高知大教会の神」を待っていたのでしょう。

為造は、自分の娘から神が出て来ると思っていたのかもしれません。

しかし、高知大教会に神は現れませんでした。

神は高知県安芸郡田野町に現れたのです。その人物が「須藤花井・面足命(をもたりのみこと)」です。

昔、本部のすぐ西側に三島という名の小さな公園がありました。この公園の本部側に木造の古い

アパートがあり、須藤花井さんはそこを住まいにしていました。

前述の「ヒサノ」(山澤為造の五女で高知大教会二代夫人の島村ヒサノ)は、本部中枢を代表して

密かに須藤花井さんに挨拶に出向いています。ヒサノは、須藤花井さんに次の様に挨拶した

そうです。「私は、小娘の頃から神さんは高知から出て来ると聞かされてきました。やっぱり間違いは

なかったですね。 どうぞこの紙に神さんの言う事を書いて下さい。」と言って白い紙の束を置いて

行ったそうです。島村ヒサノに話したのが、母親のひさ(おや様の孫娘梶本ひさ)です。

為造本人や息子の山澤為信も当然聞いてるはずです。

須藤さんは「島村ヒサノ」から貰った紙に国常立(お月様)の言う事を書き留めて纏(まと)めたのが

「月より神言」だと私に話してくれました。

 (3 ) 「月よりの神言」の内容は終末予言というものでしょう。「おふでさき」と基本的に同じです。

そして、「須藤花井」の存在を確認できる人達は、中山善衛(三代真柱)や夫人、島村ヒサノ姉

など、おや様存命中から繋がる本部のごく少数の人達だけでしょう。

このごく少数の人達は「おふでさき」の核心について知っていたと思われます。

しかし、中山善衛や夫人、島村ヒサノ姉も既に鬼籍に入られてしまった。

今では、本当の事を知る人々はほとんどいないのだろう。

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